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またやってしまった。みんなでmbtiの話をしてて、後輩に「結論から話しないと不快だなって思うタイプですよね?」と言われた。
そんなことないのにな〜と思いつつ
「でもわからないこと聞かれた時に論点をわざとずらして違うことを答えてくれる人とかは、あ〜わかってないんだなって思うし、わからんなりに自分の中にある精一杯の情報を伝えてくれてるんだなって思うよ」
と上司の目の前で言ってしまい、若干怒られが発生した。自分の中では日本語的に筋が通っていても、「言ってしまい」と思うくらいにはこれがアウトな発言であることはわかるんだよ。こういう時に自分の気持ちを100%言葉に正しくする必要はないんだよな〜〜。ヒェん。
でも本当に日常生活をしていて、さっきのようなまわりくどい答え方をされることが多くて、もしかしてそれが普通で、それが親切なんでしょうか。
最後には答えがくるんじゃないかと耐えて耐えて話を聞いて結局、答えがなかったとき、すごく疲れる。頭がいい人ならその途中の会話にヒントを見つけるのかもしれないけどね。国語の答えならバツになるような会話が、私は苦手なのかもしれない。
でも、だからといって、私の喋りが本当に正しいものであればこんなふうに誰かに怒られたりはしないのです。私が他人に不快に思う回数よりもきっと、他人が私の発言に不快に思う回数のほうが絶対に!絶対に多い。国語の答えがマルでも道徳の答えとしてはバツなんだろな。
壁に喋るなら良くても、人に喋ってはいけないことが存在するのが社会なんだね。(学んだ)
間違ってるか間違ってないかじゃなく、相手に対して優しくあれているかどうかで動ける人って、自分とは全然違う思考回路で物事を考えている気がして、宇宙人に近い。