love in the first degreeだね

フルグラはおいしい

ものもらいできた

 

歳をとると色んなことが遠くなると何かで読んだんだけど、24歳にして本当だなぁと思っている。この調子だと80歳とかになったら、物事は一体どこまで遠くなってしまうのやら。

 

色んなことがうるさいと思う。見たいと思ってないのに流れる番組、コマーシャル、イヤホンで聴く音楽、工事の音、YouTubeの効果音、時間を埋めるための雑談、寒いこと、暑いこと、重ね着をたくさんすること、…

それらをカットした結果、世界はしずかになって、だんだん遠くなっていく、自分に関係がないかもと思うものを排除すれば、自分以外のものがなくなっていく。それは淋しいんだけど、淋しくて、安心する、私の部屋はいつもすごく静かでたまに部屋がパリッて音がする、ばんちゃんがいつのまにか静かに移動している(ばんちゃんがいない頃は、あまりにも静かすぎて望んでそういう生活をしているはずなのに、なんだか気が狂いそうだった)

 

ものもらいが左目にできました。

痛いしキモい。

 

生活の全ては、ものもらいを中心に回るようになり、ものもらいのことばかりを考えており、痛いしキモいことを除けばとても快適だと気づく。幸せとはとか人生とはとか考えてしまう人は、腕とか折ってしまえばいい気がする。

実感できる痛みの集中力はすごい。いまここ、この目ん玉の痛み以外、全て重要なことではなくなっている。

心が元気な人はきっと、自分の頭の中以外のことに、腕を折るとかのやり方ではなく没頭していて、だから幸せそう。

 

私はいつも頭の中の考えがまとまらないので、それは世界中が大変にうるさいからで、だから色んなことの音量を小さくして、それでやっといろんなことを考えながら普通に生きれている(でもやっぱりそれでも上手くはできなくて人に嫌われたり怒られたりしているヨ)

考える必要なんかないことまで考えるために色んなことをカットして、それが幸せに繋がらないことに気付いているのに、やっぱり考えることをやめられない。

 

ものもらいができて目に心臓があるみたいにズキズキする、いつだって生きているこの瞬間!この今!こそが全てなのに、それを「頭でわかっている」ということを頭でわかろうとしてるんだから、なんか遠いのです。